熱分解
はじめに
熱分解とは,熱が反応物である化学反応である.熱が反応物であるためこれらの反応は吸熱反応である.つまり分子中の化学結合を分解するために,この反応には熱エネルギーが必要である.その典型的な例が焼成工程である:
炭酸カルシウムは,気圧で以上に熱せられると二酸化炭素と酸化カルシウムに分解される.この場合の吸熱反応では,反応熱は負である.この反応は,工業的に重要な生石灰を作る一般的な方法として知られている.
この研究は炭酸カルシウムの分解過程をモデル化して,拡張する反応器内の濃度場のシミュレーションを実行する.炭酸カルシウムは,下から領域に入リ,熱せられた管を通過し上から反応器を出ていく水の中にけん濁することによって反応器に輸送される.この過程で炭酸カルシウムの粒子はシステムからの熱を分解し吸収する.
流入口と流出口の間のの濃度(で表す)の最終的な減少分を計算することで反応器の効率が表せる.
境界における平均の濃度はNIntegrateを使って積分で計算する:
ここで使われる記号と対応する単位は用語集のセクションにまとめてある.
このマルチフィジックスモデルについてのより一般的な理論は,「熱移動チュートリアル」および「物質輸送チュートリアル」を参照のこと.
マルチフィジックスモデル
この問題では複数の物理領域を考慮するため,マルチフィジックスモデルを構築する.最初のステップとして,一因となる物理領域を別々に見る.反応器内の流れ場 ,温度場 ,濃度場 について解くために,流体力学モデル,熱移動モデル,物質輸送モデルを設定する.
流体力学モデル
反応器内の定常状態流れ場 について解くために,ナビエ・ストークス方程式(1)を使う.ここで3D反応器のシミュレーションを行うために2D領域を使っていることに注意する.このモデル次元減少の理由は,モデル領域設定についての後のセクションで説明する.
熱移動モデル
定常状態熱移動モデルでは,温度分布 は定常状態熱方程式(2)で表される.流体流によって対流される熱は対流項 でモデル化される.
熱分解は吸熱過程であるため,反応によって吸収される熱はヒートシンク項 でモデル化される.この項は化学反応速度 および反応熱の両方に依存する.
は定圧熱容量,
は温度,
は熱伝導率,
はヒートシンク,
は反応速度,
は反応熱である.
物質輸送モデル
反応器内の濃度場 について解くためには,定常状態物質輸送方程式(3)を使う.流れ場により輸送される物質は対流項 でモデル化される.
化学反応速度 は反応物の濃度 と反応速度定数 に両方に依存する.
反応係数の標準的な表記は であるが,熱伝導率との混同を避けるためにここでは非標準的な記号 を使う.
はの濃度,
は種の拡散性,
は周波数ベクトル,
は活性化エネルギー,
は気体定数である.
気体定数 は(5)に関わっているが,アレニウスの式は気相反応に限らない.
物理領域の結合
原因となる物理領域すべてを設定したら,異なる物理現象間の相互作用のシミュレーションを行うために関与する結合を解析する必要がある.
前のセクションで説明した通り,反応器内の温度場 は熱方程式(6)で計算され,ナビエ・ストークス方程式(7)で計算される流体流速度 と物質輸送方程式(8)の反応速度 による濃度の両方に依存する.さらに,反応速度 自体も熱方程式(9)の温度 に依存し,結果としてそれぞれの物理モデル間が非線形の双方向関係となる.
このような双方向結合の非線形PDE系を解くために可能な方法に,まず非線形の弱い簡単なモデルを解いてからその解を最初の推測として使って完全な非線形モデルを求めるというものがある.反応によって生成された熱を無視すると,最初に簡単なモデルが得られる.このアプローチは以下のセクションで詳しく説明する.
一方向結合のマルチフィジックスモデル
分解の反応熱(,)を無視することによって,熱方程式(10)は に簡約される.これにより一方向結合マルチフィジックスモデルになる.明確にするために,各物理モデルの従属変数をハイライトした:
この一方向結合マルチフィジックスモデルは逐次解くことも一気に解くこともできる.逐次に解くというのは物理領域のそれぞれがNDSolveを別々に呼び出して解かれるということである.結合された方程式を分割し,それらを別々に連続して解くこのアプローチは分割解法と呼ばれる.単独の物理分野が簡単に分割できない場合は,最初のPDEの結合変数に対して初期推測がなされる.それから最初のPDEの解が次のPDEの解を求めるのに使われる,という風になる.すべてのPDEが解かれたら,その過程は再び始まる.これにより最初の結合変数の初期推測が向上する.この過程は解が収束するまで行われる.
完全結合マルチフィジックスモデル
一方向結合モデルを解いたら,その解を完全な非線形モデルの最初の推測として使うことができる.ここで反応熱を加えて完全結合モデルを構築する.
温度場 と濃度場 は互いに影響し合うため,NDSolveでPDE系として解かなければならない.この過程は「PDEモデルを解く:完全結合モデルの解」で説明する.
材料パラメータ
提案されたマルチフィジックスモデルのどれを解くためにも,流体媒体および炭酸カルシウム両方の材料特性を指定する必要がある.
領域
拡張反応器モデルは以下に示す通り2つの対称なプレートで囲まれている.
反応器の深さ( 方向)は幅( 方向)と高さ( 方向)よりも格段に大きいため, 方向のの変化は無視するのが妥当である.したがって3D反応器を表すのに二次元モデルで十分である.
この立体をさらに簡約するステップとして,垂直()軸についての対称性に注目する.シミュレーション領域として,反応器の右半分だけを使うと効率的である.ここでとはそれぞれ流入口と流出口を表す.壁境界と対称軸はそれぞれとで表す.
簡単にするために,以下のセクションでは2D領域を表すためにを使う.
よい結果を得るために,メッシュ生成にはデフォルトの格子よりも細かい格子を使う.ここで最大の格子サイズをに設定する.これは 方向(高さ)におおよそ100要素があることを意味する.
流れ様式
シミュレーションに流体流が含まれる場合,レイノルズ数を計算して流れのタイプを判定することが望ましい.経験的に流れはのときは層流,のときは乱流である.レイノルズ数がほぼである場合,鈍頭物体[11]の周囲に非定常剥離流れが形成されることがあり,その結果流れ場における振動する渦の剥離となる.これが起るときは常に,定常状態流体力学モデルは収束に失敗し,定常状態解は得られない.
このモデルでは,流れの平均速度は であり,特性長は熱線の直径 とする.
反応器のパラメータは,レイノルズ数が層流様式になるように選ばれる.つまりこの場合の化学反応器は層流反応器(LFR)ということである. LFRの特徴の一つに高い滞留時間[12](化学物質が反応器内に存在する時間)がある.これはか焼が高生産率を達成するのに望ましい.
境界条件
このマルチフィジックスシミュレーションには,流体力学モデル,熱移動モデル,物質輸送モデルが含まれているので,各物理モデルの境界条件は別々に設定する.
両方の解法(一方向結合と完全結合)で使われる境界条件は同じである.
流体力学境界条件
この流体力学モデルには4種類の境界条件が関わっている.流入口では流速をに設定する.
反応器の壁では,滑りなし流れ条件をモデル化するために流速はゼロに設定する.
軸について対称であるため, 方向の速度は対称境界 でゼロに設定される.
上の境界では流出流をモデル化するために,圧力流出境界条件を使う.ここで流出圧力は周囲圧力 と等しい.
熱移動境界条件
熱移動モデルには4種類の境界条件が関わっている.流入口および管表面の温度はそれぞれ ,に設定される.
壁境界は完全断熱と想定されており,断熱境界条件でモデル化される.流出口と対称軸ではそれぞれ流出境界条件と対称境界条件が適用される.
しかし,流出境界条件,対称境界条件,断熱境界条件はすべてノイマンのゼロ条件なので,これ以上の設定なしで適用される.
物質輸送境界条件
物質輸送モデルには4種類の境界条件が関わっている.種が無限に供給されると仮定すると,流入口の濃度は に保たれる.
反応器の壁では種の質量流速はゼロと仮定され,不透水境界条件としてモデル化される.流出口と対称軸にはそれぞれ流出境界条件と対称境界条件が適用される.
しかし,不透水境界条件,流出境界条件,対称境界条件はすべてノイマンのゼロ条件なので,これ以上の設定なしで適用される.
PDEモデルを解く
一方向結合モデルの解
以下のセクションでは,一方向結合マルチフィジックスモデルを各物理領域について逐次に解いていく.
流体力学モデル
速度が圧力よりも大きい次数で補間されると,定常解が見付かる.NDSolveを使うと各従属変数に対する補間次元を指定することができる.ここでは速度 と は二次で,圧力 は一次で補間する.
反応器内の流体場を調べるために,以下の可視化で の速度流線のベクトルプロットと速度の等高線プロットを組み合せる.
熱移動モデル
流速 を使って熱移動モデルに進み,定常状態温度場 について解く.
流れは温度 で反応器に入り,熱管 の近くを通過するとき熱せられる.この場合,生成される反応熱は無視するので,温度変化は管による加熱によってのみ起る.
物質輸送モデル
前のセクションで説明した通り,反応器内の粒子は反応速度 で分解している.
の濃度は流入口では に保たれ,反応器を流れていくにつれ分解のために減少する.の濃度は,反応速度の高い反応器の下部で著しく低下する.これは反応速度場 を可視化することで検証できる.
顕著な分解は流入口付近の反応器の下部で発生する.このような訳で,前のプロットはこの領域での濃度が大きく低下したのである.
完全結合モデルの解
一方向結合モデルを利用して,流速 ,温度 ,濃度 について逐次に解いた.これで完全結合モデルを解き差分を調べる準備ができた.
以前無視した反応熱を加える.これにより熱方程式と物質輸送方程式の間の非線形完全結合関係となる.
前のセクションで示したように,熱源項 は以下のように反応速度 に依存する:
結合PDEモデルを効率的に解くために,前のステップからの結果を新しい解の初期シードとして使う.実際,そうしないと非線形ソルバが収束しないモデルになってしまう.非線形性の弱いモデルを先に解いて,その解を線形性の強いモデルの初期シードに使うというのが一般的なやり方である.
分解による熱吸収をモデル化する熱源項 を加えたので,最低の流体温度は流入口温度 より低い.
の濃度は反応器の上部の方が高くなった.これは低い温度場によって分解反応が遅くなったためである.
反応器の効率を測定するために,流入口と収出口の間のの実際の減量を計算する.このためには,境界における平均濃度を境界積分で計算する:
用語集
参考文献
1. Tansley, Claire E. and Marshall, David P. Flow past a Cylinder on a Plane, with Application to Gulf Stream Separation and the Antarctic Circumpolar Current, Journal of Physical Oceanography. 31 (11): 3274–3283. (2001).
2. Calvo, E. G., Arranz, M.A. and Leton, P. Effects of Impurities in the Kinetics of Calcite Decomposition, Thermochimica Acta. 170: 7–11 (1990).
3. Patil, K., Jain, S., Gandi, R. K. and Shankar, H.S. Calcium Carbonate Decomposition under External Pressure Pulsations, AIChE Annual Meeting. 3943–3962. (2004).
4. Fogler, H.S. Elements of Chemical Reaction Engineering, 4th Edition, Prentice-Hall Inc., New Jersey. (2006).